雨が降っていたあの日、私は人間のペットを飼い始めました。 (ページ1)

最近、私はペットを飼い始めた。

「ごめん、今日も駄目なの」

仕事終わりの同僚の誘いを断って、急いで駅まで走る。ホームに滑り込んできた電車に飛び乗って、自宅近くのコンビニでビールを買って――

「ただいまぁ~」

靴を脱ぐのそこそこにリビングに繋がるドアに声をかけると、「おかえり~」という声がしてからドアが開いた。

「今日も早いねぇ~」

エプロンをつけたペットが顔を出し、にこにこと私に笑いかけた。

ペットこと、垂石と出会ったのは一ヶ月前。

ちょうどその日は朝から雨が降っていて、マンションのゴミ捨て場の前で座り込み、微動だにしない姿に若干たじろいでいると、ふいっと顔を向けられて笑いかけられたのだ。

「おねーさん、なんか食いもん持ってない?」

腹が減って死にそうなんだよね、と言いながら垂石は照れたように頭をかいた。

「食べものよりまず傘じゃない? 風邪ひいちゃうよ」

私は差していた傘を垂石に差し出した。

「優しいね、おねーさん」

「ゴミ捨て場にいるなんて……なんだか捨てられちゃったみたいだね」

私の言葉に、垂石は一瞬目を丸くし、それから自嘲するように笑った。

その時伏せられた目が、すごく悲しそうで、子供の頃に飼っていた犬のポンタにそっくりで――気がつけば垂石の手を取っていた。

「行こう。私が飼ってあげる」

それから垂石は私の家にずっといる。私が日中仕事に行っている間、洗濯や掃除をして料理を作って待っているのだ。

今日のおかずは肉じゃがにサラダ。デザートには手づくりのプリンまであるらしい。

私はホクホクに煮込まれたジャガイモに箸を伸ばす。「おいしい!」と頬を緩めれば、目の前の垂石が嬉しそうに目を細めた。

全く、垂石は不思議な男だと思う。料理洗濯掃除などの家事は、私よりうまいし完璧だ。ちなみに顔もそこそこ良い。

なのに拾った当時はボロボロの着古したTシャツ一枚に、穴だらけのジーパン。髭も伸びきって一見すると浮浪者みたいだった。

もちろん仕事はしていないようだし、外出も買い物以外はほとんどしない。いったい今まで何をしていたのかも分らない。

私は何度も垂石の身の上を聞きだそうとしたけれど、いつも適当にはぐらかされてしまっていた。

食後のデサートまで食べたあと、買ってきたビールを二人で飲みながら、ソファに座ってテレビを見ていた。

垂石は野球中継を食い入るように見ている。選手のプレーを見ながら「よしっ」とか「あぁ~」なんて声を上げているのが微笑ましい。

(野球が好きなのかな?)

垂石の好きなものをこっそり知れたみたいで、私は嬉しくてフフッと笑った。

「なに笑ってんの?」

「ううん、なんでもなーい。あっ」

「なに? どうしたの?」

「ビール無いや」

軽くなったビール缶を手で振りながら垂石に見せた。

「俺、取ってくるよ」

「えっ!? そんな悪いよ! 自分で取りに行けるって」

垂石はさっさと冷蔵庫からビールを取り出して、「はい」と私にビールを渡してくれた。しかも、プルトップまで開けてくれている。

「……なんかさぁ、垂石君って召し使いみたい」

「召し使い?」

「だってなんでも私の言うこと聞いてくれるし、やってくれるし」

「そりゃあね。久美ちゃんには恩があるからね」

そう言って垂石がふざけたように「久美ちゃんのためならなんでもするよ! だって俺、久美ちゃんのペットだもん!」と言った。

「あ、久美ちゃん専用の召し使いでもいいけど」

笑いかけてくる垂石の顔がちょっと憎い。

(なんでもするって……名前以外、どこの誰なのかも教えてくれない癖に)

私はちょっと意地悪な気持ちになった。

「本当になんでもしてくれるの!? じゃあ冷蔵庫の枝豆食べたいから持ってきて! それからチーズも!」

垂石は私の言ったことに反論もせず、はいはいと従順に動き、すぐに枝豆とチーズが目の前のテーブルに並んだ。

「……本当になんでも言うこと聞くんだ」

「そりゃ聞くでしょ」

「ヒモみたい」

「ヒモって言われれば、ヒモだねぇ」

当然とばかりの垂石の返しに、私はイライラしてしまう。

「じゃあさ、例えば私が足を舐めてって言ったら垂石君は舐めるわけ!?」

「できないでしょ!」と強めに言って、私は枝豆を口に入れた。

酷いことを言ってるという自覚はある。けれども、大事なことを一つも教えてくれない男が言う「なんでもする」は空っぽのように思えて、つい言葉がきつくなってしまった。

自己嫌悪で悲しくて、ツンと鼻が痛くなって目に涙が滲みかけた時――、「舐めるよ」と声が聞こえた。

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